現在の米国の政治は、とても無批判に信頼できるものではないはずなのですが、日本では、TPPや米国政治に対する懸念は、大きな声とはなりません。どうも戦後日本は、対・米国をはじめとする国際関係の場において、「悔しさ」という感情を過度に抑圧し、なるべく意識しないようにしているようです。
記事提供:『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2016年4月1日号より
※本文見出し・太字はMONEY VOICE編集部によるものです
なぜ戦後の日本人は「悔しさ」の感情を失ってしまったのか?
「米国についていけば大丈夫」の思考停止
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の承認案と関連法案の質疑が、来週半ばから衆院本会議で始まるそうです。いままで本格的な論戦が国会でなされてこなかったので、十分な審議を期待したいところです。
ただ、こんな記事もありました。
TPP交渉の記録作成せず 日米閣僚協議で政府 – 東京新聞(2016年3月30日付夕刊)
この記事の伝えるところによると、TPP交渉を担当した甘利明前TPP担当相と米国のフロマン通商代表の閣僚協議に関し、政府は交渉記録を作成して来なかったそうです。
TPP交渉は、条約発効後4年間、交渉過程を秘匿することになっています。各国の交渉担当者が政治的責任を負いたくないからでしょう。この取り決め自体、民主主義の原則に反していますし、交渉過程の記録もとっていないというのはおかしな話です。
米国の大統領選挙では、結局、残っている候補は全員、濃淡あるにしても「TPP反対」を打ち出しています。なのに、日本では、TPP反対論は盛り上がっていません。
TPP批判が盛り上がらない理由は、一つは大手マスコミの報道姿勢にあるでしょう。
先日、ジャーナリストの岩上安身氏にインタビューを受けた際に、直接、聞いたのですが、岩上氏が以前、10年以上の長きにわたって務めていたフジテレビの「とくダネ」のコメンテーターを降ろされたのは、番組内でTPPに対して批判的コメントを述べたためだったとのことです。テレビや全国紙などの大手マスコミでは、スポンサーに輸出関連の大企業が多いからか、TPP批判は好まれないのでしょう。
他の理由としては、やはり「米国についていけば大丈夫」「米国の進めるグローバル化戦略に乗っていれば間違いない」という、ほとんど思考停止といってもいいほどの過度の米国への信頼があるように感じます。
来日したスティグリッツ氏も述べていたように、TPPとはグローバル企業の利益をもっぱら反映したものであり、そうした企業のロビイストの強大な影響力を排除できない現在の米国の政治は、とても無批判に信頼できるものではないはずなのですが、日本では、TPPや米国政治に対する懸念は、大きな声とはなりません。