「日本会議」の中核組織「日本青年協議会」
我々の多くにとって「右翼」と聞くと、街宣車でがなる暴力団系の右翼しかイメージできない。ときおりテレビなどに出てくる「右翼」も明らかに脅しと暴力を手段として用いる暴力団系右翼である。
それらは普通に生きる我々の日常とは異なる世界のものとして、我々は自然に無視し排除してしまうことに慣れている。「また騒いでいる。勝手にやらせておけ」という態度だ。
しかし、実際に政治的な影響力を持つ「右翼」とは、表面に現れたこうした暴力団系右翼ではない。「日本青年協議会」のように、全国を網羅する巨大なネットワークを持つ組織こそ、本当に政治的な力を持つ「右翼」なのである。
ところで「日本青年協議会」だが、「元号法制化運動」の成功以後も組織を堅持し、特に90年代に日本全体の右傾化の波に乗り、さらに拡大した。そして1997年、右翼団体が総結集したプラットフォームである「日本会議」の結成では、中核団体として「日本会議」の実務全般を担う位置にいる。
「日本会議」には289名の国会議員、1000名の地方議員、そして各界を代表する人物が数多く参加している。47都道府県すべてに支部を持ち、末端に裾野を広げる活動にも余念がない。現在でも椛島有三が「日本青年協議会」の会長であり、「元号法制化運動」で培った全国組織を「日本会議」の組織としてさらに拡大している。
言うまでもなく、これは巨大な組織だ。だが、「日本青年協議会」も「日本会議」も草の根的な地道な運動を中心にしており、目だった宣伝活動は一切行っていない。静かに目立つことなく活動している。また報道されることもほとんどなかった。暴力団系右翼のイメージに捕らわれている我々の目からは、完全に抜け落ちた存在だ。
自民党の変質と「日本会議」との合体
しかし、それにしても、総理自身も含めた多くの閣僚が「日本会議」のメンバーというほど、いまの安倍政権は「日本会議」と近い関係にある。
かつての自民党は、さまざまな利益団体の利害を代表する「派閥」が存在し、「派閥争い」と呼ばれる権力闘争が存在した。この権力闘争のため、どの政権も派閥のバランスを考えた閣僚人事を組むことが当たり前であった。
そのようなかつての状況から見ると、閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであるといういまの状況は、それこそ自民党全体が「日本会議」に吸収されてしまったかのような状態だ。
本当に自民党をぶっ壊した小泉政権
実は、本当に自民党全体が「日本会議」に吸収されてしまったに近い状況なのだ。そのような状態に追い込んだのは小泉政権であった。
「自民党をぶっ壊す」をスローガンにして出てきた小泉政権は、既得権益の温床となっている公共投資を大幅に削減したり、公団を民営化した。
一方「族議員」と「派閥」は、公共投資の地方への配分に口を聞いてやり、その見返りとして地方の利益団体の支援を受ける構造になっていた。そのため、小泉政権の公共投資の大幅な削減はこうした構造を解体へと追い込み、「族議員」と「派閥」も同様に解体された。
しかし、その結果として自民党は地方の地盤や利益団体の支持を失った。これが2009年の選挙の大敗と政権交代の大きな背景となったことは間違いない。そして野党の位置に甘んじなければならなかった4年間、自民党の新しい支持基盤となったのがまさに「日本会議」であった。
もちろん311以降の民主党のあまりの失政が追い風になったことは間違いない。だが自民党は、「日本会議」の全国組織を基盤にして与党になったと言ってもよい状況だ。要するに自民党は「日本会議」に吸収されたのだ。
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