なぜ日本は、賃金が上がらず平均では下がって、デフレになってしまったのでしょうか?これは1990年代からの、輸出製造業での「中国の台頭」が関係しています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2018年5月10日号の一部抜粋です。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
世界的にも異常。日本のパートと正社員の時給格差は「約2倍」
日本にデフレをもたらした「中国の台頭」
わが国の正社員数は、24年前の1994年が最高で、3809万人でした(この年度の非正規は971万人:現在の48%)。そして、2017年の正社員は3424万人です。1994年以降は、正社員数は増えずむしろ減って、パートを主とした非正規労働によって労働補充が行われてきたのです。
なぜ日本は、賃金が上がらず平均では下がって、デフレになってしまったのでしょうか。
これは、1990年代からの、輸出製造業での中国の台頭と関係しています。自由貿易をする二国では、労働の賃金は、時間をかけて平準化に向かうからです。
2000年頃の中国の平均賃金は日本の1/30でした。
現在、世界1の工業都市シンセンのフルタイム労働の最低賃金は、2130元(3万6200円/月)、パートの最低時給は19.5元(331円/時間)です。正社員で日本の約1/7、パートでは1/3にまで上がっています(2017年)。年率では、10%から20%の上昇率でした。
1990年代中期から、大手企業の経営者や上級マネジャークラスは別にして、日本人の平均賃金が上がらなくなった原因は、労働が作った商品に、工業化したアジアと中国人以上の付加価値のあるものが減ってきたからです。家電産業などがその典型です。
商品輸入は、労働の「移民受け入れ」と同じこと
正社員を増やせず、時間給がほぼ1/2のパートの増加に頼ったのも、1/3の低価格の中国製品の輸出が原因です。
商品は、労働で作られます。労働が結実し、付加価値を作ったものものが商品です。商品を輸入することは、コンテナに封じ込めた労働(労賃)を輸入することと、経済的には同じです。
移民ではなくても、商品輸入は、労働の移民と同じです。
中国製品に「性能/価格=商品価値」で対抗するには、商品の価格の中の、労賃の部分(人件費の構成比)を下げるしか方法がなかった。
賃金(=世帯所得)が上がらないと、世帯の商品購買は増えません。パート構成比の増加で、世帯の平均所得は下がった。商品購買力が減ったのです。このため、生産力が超過し、1990年代からは円高だったので輸入は増え、商品価格が下がるデフレ経済になって行ったのです(※筆者注:1985年のプラザ合意の前まで、1ドル240円だったことをご存知でしょうか)。
間違いを認めないまま「物価目標を諦めた」日銀
日本のデフレ現象は、政府・日銀が言った「マネー量の増加率」の低下のためではなく、円高・元安もからんだ中国からの商品輸入の増加と、商品需要数の増加のなさによるものでした。
2000年代の日本では、「インフレもデフレも貨幣現象」というマネタリストの大家・フリードマンの学説は、あてはまらなかったのです(※筆者注:経済学は、国と年代でファンダメンタルズの条件が異なるので科学にはなり得ず、思想的なイデオロギーに終わるものです。このため、思想のようにいろんな説がありえます)。
日銀が、マネー量を400兆円も増やした異次元緩和が、わが国の2010年代では、インフレをもたらすことはなかったのです。黒田日銀は、頼った理論の間違いとは言わず、2018年4月に「静かに」2%のインフレ目標をやめています。
日銀を含む財務省は、従来から、決して自分たちが犯した間違いを認めない省庁です。敗戦の直後には、全省庁が行政文書を燃やしています。戦争犯罪を逃れるためです。