結婚できない日本人中年男性が、東南アジア女性を妻にする。資本の論理が働く婚活市場で、これは極めて経済合理的な選択の「はずだった」。どういうことか?(鈴木傾城)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。
「一発逆転」は可能なのか? 資本の論理で読み解く婚活の現実
53歳で迎えた人生の春
フィリピン女性と結婚した、ある日本人男性について話したい。この男性は神奈川県の中学校を卒業した後、国内の大手自動車メーカーの工員として働いていた。主に部品を作る機械工だったが、地味で真面目で優しい男だった。
低学歴であったことから収入はそれほど多くなく、真面目すぎる性格で30代を過ぎても結婚できなかった。
40代も過ぎたある時、彼は同僚に連れられてフィリピン・パブに足を踏み入れた。異国の若く美しい女性が楽しく盛り上げてくれ、彼はすっかりフィリピン女性に夢中になった。
そしてフィリピン・パブにあしげく通うようになり、仕事を機械工から警備員に変える中で、やがてひとりのフィリピン女性に恋するようになった。
彼は一途に彼女のところに通い、多額のお金を彼女に渡して愛を囁いた。日本女性は彼を見向きもしなかったが彼女は違った。優しくその愛を受け入れた。
2005年のある日、彼はこのフィリピン女性と結婚することになった。彼は53歳、彼女は38歳の時だった。
やがて、ふたりの間に子供ができたが彼女はフィリピンに帰国して彼だけが日本で働き、たまにフィリピンに行けば彼女にせっせと生活費を渡していた。その額は100万円の時もあった。
やがて彼は61歳になった。仕事を辞めて愛する妻子がいるフィリピンに渡った。これから夫婦で一つ屋根で楽しく暮らすはずだった。しかし、彼に待ち受けていたのは何だったのか。
日本人女性には見向きもされない
ところで、この日本人男性は53歳でフィリピン女性と結婚したのだが、それまで一度も結婚したことがなかった。
彼は真面目で優しく一途な性格ではあったが、女性を前にして気の利いたことが言えるわけでもなく、女性をとろけさせるような容姿を持っているわけでもなかった。
学歴もなく、低賃金で、前途洋々なる将来が約束されているわけでもなかった。
彼が結婚できなかったのは、彼自身が奥手だったということもあるが、日本女性は油にまみれて車の部品を作る真面目な機械工など見向きもしなかったからでもある。
かつての日本は、結婚に不利な立場の男性であっても普通に結婚できた。結婚するのは当たり前の社会で、年頃の男女がいたらまわりが世話を焼いて見合いで結婚させたからだ。
たとえば1965年の日本では「50歳になった時点で結婚しておらず、さらにそれまで一度も結婚したことのなかった男性」は、わずか1.5%にすぎなかった。つまり、98.5%は結婚していた。
しかし、この割合は年代が上がるにつれて、どんどん下がっていった。自由恋愛が当たり前になり、女性が仕事を持つのも当たり前になり、価値感も多様化し、結婚するだけの人生がすべてでなくなっていったのだ。
結婚率は下がる一方となり、2015年は50歳時点で一度も結婚したことがない「生涯未婚」と呼ばれる男性の存在は、なんと23.4%に急上昇していた。
真面目な機械工の彼は、ちょうどそんな生涯未婚が増えていく時代にあって、日本女性からは度外視されていたのだった。
彼がフィリピン・パブに足を踏み入れてのめり込んでいくのは1990年代だが、生涯未婚率が急上昇していくのも1990年代からだ。
1990年代には何があったのか……。