株式市場の暴落はいつか必ずやってくる。だが問題は、その暴落がいつ来るのかまったく分からないことだ。待っている間にも人生は確実に過ぎ去っていく。それでも資本主義に生きる私たちは、資本主義を利用して生き残らなければならない。どうするべきか?(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
※本記事は有料メルマガ『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』2017年9月3日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。
「今日は来ないが明日は来る」ゴドーを待つ投資家の盲点とは?
確かに暴落は「濡れ手に粟」だが――
株式市場が大暴落しているときに、優良企業の株式を大量に買えれば、後はもう何もしなくてもいい。優良企業はせっせと成長して株式価値を上げていつしか暴落を取り返すし、配当もどんどん増配させて株主に報いることになるからだ。
リーマンショック以後の半年、ニューヨーク株式市場の多くの優良企業が売りに売られた。だから、40%も50%も暴落した株式が大量に存在していた。
私は、この時期に買った株式をずっと保有しているが、暴落時に買ったのでその時点で配当利回りは7%、その後の増配で現在の配当利回りが10%になっている銘柄もある。
毎年、10%の配当をもらっているという話をすれば詐欺と思われるのだが、私は現に10%の配当を何のリスクもなくもらっているのが現状だ。
私がやったのは、暴落時にフィリップモリスを買ったということだけだ。現金をたんまり持った優良企業を買ったのだから潰れるリスクもない。私は濡れ手に粟で利益を手に入れた。
ただ、暴落時は底値がどこなのか誰にも分からないので、落ちているナイフをつかむ必要がある。つまり、暴落しても、自分が買った時からさらに下がることを覚悟する必要がある。
ボーナスタイムを待つ間、投資家は何をすべきか?
優良企業の株式は必ず値を戻すという確信があれば、持ち株が買い値を割ってどんどん下がっても何ら動揺する必要はない。すべては時間が解決する。
しかし、多くの人は冷静になれない。自分の買い値よりも下がって10%も20%も落ちたら極度のパニックになる。そして、一番売ってはいけない時に売り飛ばす。
誰もが売っているから自分も売る。まるで崖から飛び降りて自殺するレミングのようだ。暴落したら買い時なのに、買わないで売るのだからあまりにも感情的だ。
そういった意味で、自分が株式市場で利益をつかめるのかどうかは、数字を見るよりも自分の精神を見る方が重要になる。自分が株式市場の暴落で資産が減っていくのを見て耐えられるかどうか、自分の心を知る必要がある。
もし、株式市場の暴落時の修羅場に落ちたナイフをつかみまくって株式を掻き集めることができる人は、濡れ手に粟の状態でその後の利益が保証される。
はっきり言おう。この手法は何度でも再現できる。
どのみち株式市場の暴落はいつか必ずやってくる。人間の人生が順風満帆ではなく、逆風にさらされているときや嵐で転覆しそうになるときもあるのと同様に、株式市場もまた波瀾万丈の動きを見せる。
だから、チャンスはじっと待っていれば、いつかまた濡れ手に粟のような状態がやってくる。
待っている間も、投資家の人生は過ぎ去っていく
ただし、現実問題として深刻に考えないといけないこともある。暴落はいつ来るのかまったく分からないし、暴落した時しか買わないという教条主義のようなことを言っていたら、いつまで経っても優良企業の株式を買えないことになるということだ。
現に、リーマンショック以後、株式市場は何度も波乱はあったのだが、歴史に残るような巨大な暴落はニューヨーク株式市場では記録されていない。
2008年のリーマンショックの傷が癒えたのは2011年だが、それ以後、暴落を待っていた人は6年目に入った今も株式を買えなかったことになる。
6年もあれば、3%の配当だとしても18%も資産が増えていたのに、1株も持っていなければゼロである。これは大きな機会損失であったということでもある。
つまり、私たちは暴落時の「濡れ手に粟」を待つ前に、この機会損失をどうするかを真剣に考えないといけないということでもある。私はどうしているのか?