国民の権利より義務が優先の「憲法改正草案」
ところで、現在の自民党と「日本会議」が強く志向する憲法改正だが、改正の対象はよく議論になる9条だけではない。主権在民を骨子とした現在の憲法そのものの基本的な枠組みが改正の対象となっているのだ。
それは、自民党が公開している「憲法改正草案」を見ると明確だ。長くなるので詳述はしないが、草案の基本的な改正点は、国民の権利よりも、国家に対する国民の義務を優先させている点だ。
現行憲法では国家の権力から国民の権利を保護するために、国民に主権があることが明記されている。それに対して自民党草案では、国家に対する義務を果たすものにだけ権利を与えるとされており、国家の存在を国民の上に置くような明治憲法に近い規定になっている。
現行憲法とは根本的に異なる国家観
これは小さな違いではない。現行憲法と自民党における憲法改正草案では、国家に対する考え方が根本的に異なっているのだ。
現行憲法では国民が最高の主権者であり、国家は国民の権利を侵すことはできない。これはつまり、社会や国家というものは、基本的には国民という個々の人間によって構成されているという見方だ。これは欧米の憲法が広く共有している認識でもある。
他方、自民党の憲法草案は国家こそ神聖な存在であり、それは個々の国民の存在を超越しているという信念が基礎にある。つまり、国家は国民が存在する以前にすでにあり、国民とは関係のない独自の神聖な実態性を有しているということだ。
この2つは正反対の認識だ。主権在民の憲法では国家を構成している存在は国民であるので、国家の定義は明白だが、国家の国民を越えた神聖性を主張する自民党の憲法草案では、この神聖性を証明するなんらかのイデオロギーがどうしても必要になる。
明治憲法では、神の直系である天皇が統治する日本という記紀神話に基づく国家神道のイデオロギーであった。そして、神聖な日本に住まう日本人は、神の血が流れている天皇の赤子であった。
自民党の憲法草案では国家神道の言及はあえて避けているものの、万世一系の天皇が統治する神聖な国という信念は、安倍政権および「日本会議」では広く共有されていることは明白である。
だが、自民党の憲法草案の基盤にあるこうした考え方は、現在の日本人には到底受け入れられるものではない。